【香港歴史博物館(改装中)】古代中国の特別展を見る

香港3日目、北角のホテルをチェックアウトし、この旅行初の2階建てバスに乗車。午前中は香港歴史博物館に行くことに。

乗り方が良く分からなくて敬遠していたバスだったが、普通に入口(前側)に設置してある読み取り機にオクトパスをかざすだけで乗れた。

しかし、降りるバス停をすっかり失念し、乗り過ごしてしまった。しかも、バス停間の間隔が結構あり、次で降りたものの割と離れた場所まで来てしまった。気を付けましょう。

昼食

せっかくなので、降り過ごしたバス停から少し行ったところにある「美食坊」の「詠藜園(ウィンライユン)」で担々麺を食べることに。ここは中国四大料理の一つ、四川料理がウリ。

店内は円卓があって広々しており、まさしく中華みを感じる。

担々麺($43≒860円)と小籠包($48≒960円)を注文。

担々麺は辛い方(辣)辛くない方(不辣)が選べる。せっかくなので辛いほうを注文したが、そこまで辛くなかった。小籠包も熱々の肉汁が詰まっており、これも美味い。やはり中華は最高だ。

香港歴史博物館

という訳で、本命の歴史博物館へ。ちなみに、この写真は入口感出してるものの、出口だった様子。入口へは横のエスカレーターから上がる。

そして、常設展を見に来たものの、まさかの改装工事中だった。

代わり(?)に三大文明展という特別展がやっていたので、こちらを見学することにした。

ここでの三大文明とは、しょうしゅうという紀元前2100年頃~前256年に渡って続いた3王朝のこと。この内「夏」はその存在を証明できる遺跡が未だ見つかっておらず、考古学的には実在した王朝かどうか議論があるようで。

また、「商」は聞いたことない王朝だな…と思っていたものの、日本の教科書だといんで載っているらしい。

古代中国漢字展

入口すぐは中国文化を語る上では外せない「漢字」のコーナー。

漢字がどういった経緯で生まれたのか、どうしてこの形になったのか、なぜ発達したのかが様々な展示を通して解説されている。

商(殷)の時代には、現代の漢字の基礎となった「甲骨文字」が登場。

もちろん漢字展なので、漢字文化圏である日本人も楽しめる。異国に来てどこか親近感を覚えるこの感覚が不思議で面白い。

映像での展示もあり、視覚的にもわかりやすい。

この殷王朝期に発達したとされる甲骨文字は約4500種あるものの、その内解読されているのはまだ1600文字程度らしい。この解読可能な1600文字はほぼすべて絵文字、表意文字、表音文字の原理に基づいているらしいが、逆に残りの解読されていない文字は何を起源としているのか…

また、青銅器の技術も殷代には飛躍的に発達。こうした青銅器にも漢字は刻印され、当時の生活事情を知るための貴重な史料となっているのだ。

周代は「東周」と「西周」に分けられ、長く続くのが東周。周では強い血縁関係で結ばれた「諸侯」が各地を治める「封建」の制度が始まり、前期は安定した時代であったものの、時代を経るにつれ血縁は薄れ、権力の分割が進み、やがて戦乱の世の中へ突入する。周代後期はいわゆる春秋・戦国時代と呼ばれる時代だ。

この荘子を始め、孔子、老子といった思想家(諸子百家)が登場したのもこの春秋・戦国時代だ。

また、姓氏の概念が生まれたのも周代。

解説板には「もしかしたらあなたのご先祖様の苗字があるかも?」と書かれていたが、ひたすら古代まで辿れば日本人でも大陸にルーツがあったりするものなのか。

特別展

漢字展はここまでにして、続いて特別展の方へ。

ちなみに、博物館内は全て無料だった。金欠トラベラーには嬉しい。

入ってすぐは映像展示。古代中国の遺跡や当時の甲骨文、青銅器などの解説がなされていた。

やがて映像は戦乱の世へ移り、戦国の七雄が互いに争う中、やがて秦による統一が行われるまでが映し出されていた。

それでは時代順に見ていく。

こちらは夏の時代に使われていたとされる陶器で、灰陶かいとうと呼ばれる。表面がつやつやで黒光りしているのがこの時代のものの特徴だ。

ちなみに、「夏王朝の実在は疑わしい」と冒頭で述べたものの、これは「夏」という概念が現代の王朝や国家に相当するものだったのか?という点が疑問視されているものなので、この時代に関する出土品自体は結構見つかっているようだ。

夏の王都?とされる遺跡「新密新砦遺址」

商(殷)

紀元前16世紀、夏が滅び、新たに商(殷)王朝が成立

祭祀文化が発達し、それに伴って占いで用いる甲骨文が発達したり、史料や文書が盛んに残されるようになったのがこの時代。それに加えて青銅器の鋳造技術も大幅に向上し、様々な用途の青銅器が造られた。

この時代に用いられた主な青銅器。水、酒、食器、果ては兵器に楽器など、本当に様々な用途で用いられたのが良く分かる。

中にはこんなユーモアあふれる青銅器も。虎とフクロウを融合させたという酒器だそうだが、古代の人は何を思ってその2つを組み合わせようと思ったのだろうか。

こちらは「甲骨文字」の解説。殷代の貴族は占いの儀式に亀の甲羅や牛の肩甲骨を用い、病気や天候、戦争などの占いたい事項を刻み、占いにかけたという。

熱した甲骨がどのような割れ方をするかによって、その吉凶を占っていたらしい。日本でもシカの骨を焼き、その割れ方によって吉凶を占う太占ふとまにの法」があったので、恐らくここから伝わってきたものなのだろう(日本史で盟神探湯くかたちとよく一緒に出がち)

現代文字と甲骨文字の比較。

昔の冷たい飲み物の作り方が載っていた。ちょくちょくこんな感じのトピックが可愛らしいフォントでちりばめられており、飽きない。

周については先ほど述べた通りで、後期は戦乱の世に突入する。

各地の有力諸侯による小国分立状態となった周代各国の出土品が展示されていた。時代背景からか、武具などの展示が多くみられる。

春秋・戦国時代の主な大国たち。西部の「秦」が前221年に統一し、始皇帝が誕生した。
銅鏡の解説。化粧品とともに出土したことから、女性のものと推定されているという旨が書かれている。
ピンボケ。

脚付きの釜なども多くみられる。これらは殷代に引き続き、専ら祭祀のために用いられたもののよう。

という訳で、今回の香港歴史博物館の見学は終了。常設展が見られなかったのは残念だったが、未修の古代中国史に触れることができたり、青銅器や甲骨文字など、中学高校の教科書で何となく見たことあるようなものを直接見ることができ、なかなか楽しかった。

改装工事が終わった後の常設展にも期待が持てます。

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