
プラハ城近くの電停で少しだけ撮影した後、プラハ城内を散策します。
プラハ城
電停のちょうど後ろに入口があったのでそこから入城。
正門広場


正門の前はかなり開けた広場になっており、プラハの街並みが一望できます。

これは別の場所から撮影したプラハ市街地の写真ですが、赤茶色の屋根に覆われた風景にポコポコと尖塔が伸びているのがよく分かります。「百塔の街」と呼ばれるのも納得。

そしてこの広場にあるのは大学教授の後、初代チェコスロバキア大統領に選出されたマサリクの銅像。第一次世界大戦中から二次大戦前までしきりにチェコの独立を世界に訴えた人物です。彼によって啓蒙された「チェコ人」としての民族意識は、後世に大きな影響を及ぼしたはず。彼は68歳から17年間大統領を務めたようで、そのバイタリティにも敬服せざるを得ない。
聖ヴィート大聖堂

市街地からも目立つプラハ城の中枢をなすのがこの聖ヴィート大聖堂。あくまでも聖堂なので、日本の天守のような防御機能は担わないだろうが、特筆すべきはこの外装。


この緻密に計算尽くされたゴシック様式に特有な装飾の数々。今の時代でこそ、建築は3Dモデルソフトなど駆使して幾分楽になったかもしれませんが、14世紀にこんなことをしているのは最早狂気以外の何物でもない(褒め言葉)。

この堂々とした風格がたまらない。ちなみに今回チケットを買っていないので中には入れません。時間も無いので・・・

先ほどの聖堂がある広場を抜けると、赤く可愛らしい建物が出現。これは聖イジー教会といい、ゴシック様式よりもさらに古いロマネスク様式での建築です。様々な特徴がありますが、一番わかりやすいのは小窓が大量についているところがこの様式の特徴だったり。

今回はあまり時間も取れないのでサクッと見るにとどめ、来た方向とは逆に下っていくことに。

美しいプラハの街並みを横目に階段を下りていく。贅沢な時間だ。
そして前回の記事でも撮影していた、クネクネした上り坂の手前にある電停まで戻ってきた。


Malostranské náměstí電停
ここで少しトラムの撮影に戻ります。
ここの電停の近くには「ガントレット区間」と呼ばれる区間があります。言葉では伝わりづらいため、百聞は一見に如かずということで以下の画像を。

このように、市電が狭い空間を通るために複線だった線路を一旦単線に畳んで・・・と思いきや、完全には重なることなく単複線となっているような区間のことを「ガントレット」といいます。

それにしても、よくこんなところに通そうと昔の人は考えたものです。

ガントレット区間を抜け、広場に入ってくる市電。背景に教会の尖塔が写りこんでおり、良さげな背景に。

Hellichova電停
先ほどの広場に建つ教会をバックに撮影できるということで移動。

うん、いい感じ。ただ、この通りは中々交通量も多く、被ることもしばしば・・・

そんな中、奇跡的に市電同士の離合を収めることができた。これは嬉しい。
ちなみに、この通りのすぐ横は各国の大使館が集まる地区になっていまして、


日本大使館もあります。この日は日曜日だったので営業していませんでしたが。
遅めの昼食
さて、時刻は既に14時半を回ったところ。飛行機は19:20発なので、あとは最後適当にご飯でも食べて、市街地をフラフラしながらプラハ本駅に戻ればちょうどいい時間帯。

そんな訳でチェコ最後の食事を求めこちらの店へ入店。人気店なのか結構並んでいたものの、1人分だけたまたま空きが出たのか列をすっ飛ばして中へ案内された。ラッキー。

このタプタプに泡が注がれたピルスナーウルケルともしばしお別れ。

それで、今回注文したのはこの「ブランボラーク(Bramborák)」というチェコの郷土料理。ジャガイモやニンニクをすり潰し混ぜ合わせ、表面をカリッと焼き上げたもの。コロッケに似ていますが、それよりも衣がカリカリしていて塩味も強いので、ビールによく合う。
付け合わせはドイツでよく出てくるザワークラウト(キャベツの酢漬け)。これは少し苦手だったり。
ブランボラークが139Kč、ビール(500ml)が75Kč×2で合計289Kč(≒2000円)のお会計。というか今調べたら1コルナ7円まで上がってて衝撃。日本円とかいうカス通貨さあ…
カレル橋

旅の締めくくりということで、カレル橋を渡って帰ります。この橋はプラハ市街地を分断するヴルタヴァ川に架けられた石橋で、欄干にはキリスト聖人像が立ち並びます。


勉強不足なのでこれが誰でどんな様子を表しているというようなことは語れないのですが、こうして雄大なヴルタヴァ川とチェコ旧市街に映える石像を見ているだけでも雰囲気が味わえます。


旧市街側には橋の名前にもなっている、チェコ王カレル1世及び神聖ローマ皇帝カレル4世の銅像が。
当時神聖ローマ帝国の数ある領邦の一つに過ぎなかったチェコを、帝国内でも一目置かれる存在に押し上げたのが彼。当時にしてはかなり開明的な君主で、チェコ、モラヴィア、シレジア、上下ラウジッツの周辺5諸邦をまとめて「聖ヴァーツラフの王冠諸邦」として統治を確実なものにしたほか、東欧初の大学創設、プラハ司教座の大司教座への昇格、「金印勅書」による神聖ローマ帝国の制度整備等々、プラハが後に発展していく基礎を固めました。
その取組の中でプラハ市街地の拡大・整備も行い、その一環として1357年に着工したのがこのカレル橋。以後、1841年までヴルタヴァ川に架かる唯一の橋として交流や経済の中心としてあり続け、今もなお市民や観光客に愛される橋となったのでした。
旧市街広場
前日の夜に訪れましたが、明るいうちにもう一回訪問。


ちょうど16時だったのでカラクリが動き、観光客が殺到していました。それにしてもやはりこの文字盤は美しい。中世天文学に思いを馳せます。

旧市街広場中央にあるこの像は著名な宗教家であるヤン・フス。
彼が生きた時代はローマとアヴィニョンに2人の教皇が並立していた、いわゆる教会大分裂の時代。宗教的な混乱が起こる中、彼は「救いへの道として、聖職者を通じてではなく、聖書を読むことと個人の良心を強調」したオックスフォード大学のジョン=ウィクリフの説に立ち、当時のカトリック教会で行われていた聖職売買や贖宥状の販売などを痛烈に批判。
・・・した結果当然目を付けられ、1414年のコンスタンツ公会議で異端とされたのち翌年には処刑されています。
そんな彼が最期に残した言葉が「真実は勝つ(Pravda vítězí)」。この言葉は現在のチェコの標語にもなっており、国章にもあしらわれています(真実が”Pravda“なのが非常にスラヴ語っぽくて良い)。

さて、1週間ちょっとの旅行もまもなく終わり。あとはプラハ本駅からバスで空港に向かうだけです。
リアルで色々ありすぎたせいで更新がかなり途切れ途切れになりましたが、多分次で完結させられると思います。
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