グダニスクの第二次世界大戦博物館

ヴェステルプラッテから戻ってきたあとは、続いて第二次世界大戦博物館へ。

グダニスク中央駅前のバス停から130・208番のバスに乗り、Muzeum II Wojny Światowej 01で下車。博物館の前に止まります。

カラフルな旗たちが目印、左からポーランド国旗、ポモージェ県旗、グダニスク市旗、EU旗、ポーランド国旗。

これが”Museum of the Second World War“、つまり「第二次世界大戦博物館」。ガラス張りが特徴的な前衛的なデザインの近代建築でかなり目を引くものの、展示は全て地下にあるのでただのハリボテ。

戦争博物館ということで何かしらメッセージ性が込められているはずなのだが、調べた結果、よく分かりませんでした!(NAVERまとめ並感)

入場

入場には階段を降り、エレベーターでさらに地下に降りる。

この日は火曜日で、なんと入場無料!なんかデジャヴを感じると思えば、ワルシャワ蜂起博物館でもそうだった(向こうは月曜日が無料)。ポーランドでは1週間に1度、この類の博物館が無料開放されるとかあるのか?という訳ですでに2,000円強得しているということになる。ポーランド最高!

その代わり、火曜日は閉館時間が早い(通常18時までのところ、16時まで(9~6月の場合))。

通常料金は大人29zł(≒1,100円)

外観もそうだが、中の方も中々特殊な構造。地下とは言うものの吹き抜けになっており、ガラス張りの建物から入ってくる光で明るくなっている。

大戦前夜

最初に第一次世界大戦から戦間期に至るまでのムービーを放映している部屋があるので、そこでしばし鑑賞。

最早語るまでもない、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子がセルビア人の青年に暗殺される「サラエボ事件」の様子。ここからヨーロッパはおかしくなってしまった。

各国のプロパガンダ

続いて、ソ連と枢軸国を形成するイタリア・ドイツのプロパガンダポスターが展示されている部屋へ。

ソ連

赤い(確信)

そして圧倒的なヨシフ推し。この時代、人となりや思想、国家運営方針の云々はさておき、圧倒的カリスマを持った指導者がポンポン出てくるからロマンはあるよなあ。

もっとも、この時代は生きたくないけれど。

イタリア

こちらはドイツと比べるとWWⅡ中の存在感は薄いものの、ファシズムの発祥国であるイタリア。

日本国旗も入った枢軸国の結束を示すポスターや。ムッソリーニのデスマスクまである。

この手のプロパガンダポスターが大好物なので、いくらでも見ていられる。

ドイツ

続いてドイツ。

「ナチス式敬礼」を行うヒトラーと展示物の数々

ドイツのプロパガンダポスターは大きく分けて2通りで、大体がヒトラー礼賛かユダヤ人disかの2択。

正直終わってるが、そのディストピア感が良かったり。

Unsere letzte Hoffnung HITLER(私たちの最後の希望・ヒトラー)”と書かれたポスター。「ドイツはなぜ過激な思想に走ってしまったのか?」という議論がありますが、敗戦による国力低下、弱腰な共和国政府、世界恐慌による破滅的な不景気…そんな中、強国ドイツの復活を掲げる人間が出てきたら、その主張が過激でも、魅力的に映ってしまう面もあるだろう。演説も巧いし。

正直、自分がこの時代のドイツを生きていたら、恐らくヒトラーを支持していただろうな、と思う。

こちらはアーリア人種の優越性を説いたポスター。当時のドイツは「ドイツ人は人種的に優れたアーリア人で、スラヴ民族は「劣等人種」ユダヤ人は「人種的脅威」である」というトンデモ理論が罷り通っていた時代。

「毒キノコ」と題された幼児向け反ユダヤ教育用絵本。中はユダヤ人の悪行が紹介されているが、実際にあった話か真偽の程は不明。

そもそも、アーリア人というのは「インド・イラン・ヨーロッパに定住するインド・ヨーロッパ語族及びインド・ゲルマン語族を話す人々」という言語学の学術的分類らしいのだが、これを何故か人種的な分類に無理やり応用し、ナチスの思想に合うように曲解・改造されてしまった哀れな概念なのだ。

その他の展示

先ほどのドイツプロパガンダの部屋を抜け、順路に向かって進むと、当時のポーランドの街並みを模した展示が。

そしてそこをまた右に曲がると…

!?

突然見覚えがありすぎる文字が出てきてびっくりした。東条英機もいるし。ちなみに「八紘一宇」とは、「全世界を一つの家のようにまとめること」という意味。日本書紀の神武紀に由来する言葉で、大日本帝国の対外進出及び大東亜共栄圏建設を正当化するスローガンだ。

まあ、遠く離れたヨーロッパとは言え、日独伊三国同盟を結んでいた訳だし、紹介されててもおかしくはないか。

当時自由都市だったグダニスクの武装解除を求めるポスター。ドイツはグダニスクの権益確保のため、領内を通過する鉄道の敷設権などを要求した。
両大国に挟まれたポーランドを表すような展示

この博物館、ものすごいボリュームで、じっくり見ていると展示が多く、非常に時間がかかる。

全ての展示物を取り上げているとキリがないので、ここからはダイジェスト形式で紹介。

当時のグダニスク市の警察の制服
使用されていた武器、ドラムマガジンがカッコいい
戦争遂行のための連合国内のプロパガンダポスター ベタだけどアメリカの”I want you”のやつがすき

先ほどの「八紘一宇」に続き、「大東亜共栄圏」とデカデカと書かれた縦書きポスターに旭日旗が現れた。まさか遠く10,000㎞離れた異国の地で、旭日旗までをも見ることになるとは。

ドイツ占領下のポーランド

ワルシャワ蜂起博物館にもあった”Adolf Hitler Platz(アドルフ・ヒトラー公園)”の看板。この時代、ドイツ風に改名された通りや公園がそこら中にあった。

ポーランド総督、ハンス・フランクが就任後に発した布告。「ポーランドは植民地のように扱われ、ポーランド人は大ドイツ帝国の奴隷となるだろう」との言葉を残している。

「もっとも重要な課題は、民族関係の新しい秩序を作り出すことだ。つまり、国家を再定住させ、結果として今日の国境線よりもより良いものが現れるようにすることである…ドイツとソ連はこの課題に関して相互に支援するという点で合意に達した」
「社会主義国家の統一を脅かす者は容赦なく粛清する!」

当時のヨーロッパ世界を二分した独裁者2名。互いのイデオロギーが激突する凄惨な戦争になったのは語るまでもない。

床に描かれた戦争の趨勢

ホロコースト

ドイツが大戦中行ったことを語る上で外せないのがホロコーストについて。

ナチスは過激な反ユダヤ主義思想を掲げて支持された政党。最初はユダヤ人を国外追放することで対応していたものの、受け入れ先が無くなってきたこともあり、人間倫理を超越した政策へ傾いていくことになる。

特に苛烈な政策が取られたのがポーランド。ユダヤ人はゲットーと呼ばれる隔離区域に収容されたのち、「ユダヤ人問題の最終的解決」としてトレブリンカやアウシュヴィッツといった絶滅収容所に次々と送られ、処刑された。

一連の虐殺で犠牲になったユダヤ人は600万人(ヨーロッパ全ユダヤ人の2/3)にのぼる。

犠牲となった人々の写真

戦争は何も生まない。上層部の思惑がぶつかり合うだけで、大多数の国民には不利益しかないのだ。

戦争で破壊された市街地の再現

閉館時間となってしまったのでここで退館。ワルシャワ蜂起博物館もそうでしたが、見応えがあってまともに見ようとするととんでもなく時間がかかるので、ある程度は割り切るのも大事かもしれません。

おまけ(グダニスクの郵便局員の話)

博物館から歩いて5分ほどのところに、とある郵便局がある。

こちらはヴェステルプラッテと同様、侵攻が開始された9月1日の攻撃目標とされた郵便局。

郵便局員とドイツ軍の攻防戦が繰り広げられ、1日と経たずに郵便局は陥落、捕虜となった郵便局員は全員パルチザンとして死刑判決を受け、処刑されたようだ。

郵便局員の勇敢な戦いを称える記念碑
こういう落書きからも、どこか愛国心や誇りを感じる

以上、グダニスクの第二次世界大戦博物館でした。

過酷な運命を歩んだグダニスクの歴史をよく学ぶことができた。

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