サン・ジョルジェ城と展望台から眺める夕暮れのリスボン【24-25年末年始ポルトガル旅行#4】

ベレン地区から戻って遅めの昼食を摂り、レストランを出たのは15時ごろ。ここからは適当に市内中心部を徘徊しつつ、夕焼けが見えるスポットに移動していく。

美しい曲線を描くリスボンの街路。曲線に沿って建てられている建築物も素晴らしい。

次に向かうのはサン・ジョルジェ城。「7つの丘の街」とも呼ばれるほど起伏に富んだリスボン市内ですが、そんな7つの丘の上の一つにあるのがこの城。

城まではカイス・ソ・ソドレ駅から歩いてコメルシオ広場の前を通り、リスボン大聖堂の前を通り過ぎ、坂をグングン上がっていきます。本当は歩かなくとも市電28系統が通っているのですが、これが市内の渋滞と凶悪な混雑率のコンボで、中々来ない上に来たとしても乗れないという有様です。

前回のポルトガルの記事でオーバーツーリズムの話をしましたが、まさにこういったところで如実に表れているという訳です。京都に住んでいた身としては、ここで日常を過ごす市民の気持ちがわかるかもしれません。

ぎっしりと人を載せたリスボン市電の一幕。あまりにも接触しそうだが本当にギリギリ通過し、拍手が起こった。

サン・ジョルジェ城

坂下のエリアから30分ほど歩いてようやく城の入口に到着。チケット売り場にはなかなかの列ができている。

なお、リスボンカードを持っているとサン・ジョルジェ城は無料で入れるのですが、無料で入るにもチケットとの引き換えが必要という何とも不可解な運用がされています笑(通常料金は15ユーロ)

中に入ると砲台などの防御施設が残されており、リスボン防衛における重要な役割を担っていたことがよくわかります。

堂々と聳える城壁。四角い切込みが入っている胸壁がいかにも中世ヨーロッパを思わせてくれます。

なお、ここが城砦化されたのはなんと紀元前2世紀ごろ。その後ゲルマン民族の大移動に伴って西ゴート族の手に渡ったかと思えば、8世紀以降はアル=アンダルスの拡大によりムスリムの手に落ち…最終的にはレコンキスタによる奪回でキリスト教徒へ城主が目くるめく変わってきたのがこの城なのです。

景色

冒頭にも触れましたが、このサン・ジョルジェ城はリスボン市街を見渡せる丘の上に作られた城。当然そこからの景色は格別で、

リスボン市街を見渡すと、起伏に富んだリスボンの丘に、白い壁と赤茶色の屋根の家々が所狭しと建ち並ぶ風景が一面に広がっており、まさしく圧巻の一言。

それにしても、あんな丘の上や斜面までよく切り開いたものです。日本でも同じく「坂の街」と呼ばれる街に長崎がありますが、感覚としては結構それに近い街並みがあるなあと感じました。もちろん建築などは全然別物ですが…

冬場でも雲一つない快晴の青空を舞うカモメ。つくづく、リスボンは青空がよく似合う街だと思います。

サンタルチア展望台

サン・ジョルジェ城からの帰りがけに寄ったのがこのサンタルチア展望台。

この美しいアズレージョが目印です。

アズレージョ…ポルトガル各地で見られる上記のような青い装飾タイル。

ポルトガル語で「青」は”Azulアズール“。「アズレージョ」の名前はもちろんそのアズールから…ではなく、アラビア語のal-zulayj(光沢のある滑らかなタイル)が由来。この2語を知った時、「じゃあ青いタイルだからアズレージョって言うのか!言語っておもしろ~」となったのですが、タダの勘違いだった模様。

リスボン市内にはいくつか有名な展望台があり、このサンタルチア展望台もその一つ。「展望台」と名前はついていますが、入場料等は特にかからず、広場のような感じになっています。

時刻は17:20、リスボンの緯度は日本でいうと仙台市とほぼ同じなので、日の入の時刻もさほど日本の冬の感覚と変わりはありません。

白壁赤屋根の伝統的なリスボンの家屋が続く街並みを眼下に望みつつ、薄明に染まりつつあるテージョ川の向こう側を眺めていると、どこか哀愁の漂うリスボンの街並みと相まって心が洗われます。

日本から西に11,000㎞。はるばるユーラシアの果てまで来てよかったなあと思わせてくれる風景がそこにはありました。

夕陽を見物した後は再び中心部まで戻り、地下鉄でホテルまで戻りました。

トゥクトゥクや雑踏に溢れる街中を黄色い市電が駆けて行く…そんな風景もリスボンの魅力だと思います。

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