古代遺跡・エフェス【23-24年末年始トルコ旅#13】

さて、無事入口に到着したので入場券を買って入場。入場料は700TL≒3300円と、中々良いお値段する。

エフェス遺跡とは

そもそもエフェス(英:エフェソス)遺跡とは何の遺跡なのか。

その起源は、紀元前8世紀半ばの古代ギリシアまで遡る。当初ギリシア本土に住んでいたギリシア人は人口の増加と土地の不足から本国を出て、植民活動を始めた。そんな植民活動を通じて建設され、ギリシア植民市として栄えた街がエフェスだ。植民市は本国と対等な独立国として扱われ、商工業や海運業で大いに栄えたという。

その後はアケメネス朝ペルシア、セレウコス朝シリアなどの支配下に置かれ、ローマ帝国成立後はその属州となった。現在遺跡に残る遺構の多くは、このローマ帝国時代に建設されたものだと言われている。

ローマ帝国の東西分割以後もキリスト教の宗教都市として栄えた(エフェソス公会議(三位一体説を否定するネストリウスを異端とした会議)でその名を教科書に残す)ものの、急速に勢力を伸ばしたアラブ人の度重なる襲撃を受け、ついに8世紀ごろ放棄された、という歴史を持つ。

それでは、古代ロマン溢れるギリシア・ローマ時代の遺跡へ、いざ!

アルカディアン通り

エフェス遺跡の内部には3つの大通りがある。アルカディアン通り、マーブル通り、そしてクレテス通りだ。

入口から真っ直ぐ進むとまずぶつかるのがこの「アルカディアン通り」と呼ばれる大理石が敷き詰められた大通り。当時、エフェスの街は海岸線に接していたことから、港が整備されていた。

この通りは、そんな港と街の大劇場とを結ぶメインストリート。往時には道の両脇に商店が立ち並び、賑わっていたという。

大劇場

ご多分に漏れず、遺跡の中にもたくさんの猫がいる。
大劇場の頂上付近からアルカディアン通りを望む。

アルカディアン通りを抜け、まず目を引くのがこの巨大な半円を描く大劇場。ローマ帝国時代に大きく拡張されたと言われているこの劇場は、約2万4千人を収容できる構造となっている

演劇が行われるのは勿論、古代ギリシア・ローマに特有の直接民主制に伴う民会が開かれる場でもあったこの劇場は、当時の市民にとって非常に重要な場になっていただろう。

それにしても、あまりの保存状態の良さに驚きを隠せない。

マーブル通り

大劇場から図書館へ続く道がこのマーブル通り。

下のアゴラ

「アゴラ」とはギリシア語で「人の集まるところ、広場」という意味を持つ言葉。その名の通り民会の会場として使用されたほか、市場としても機能していたそうだ。

他の保存状態の良い建造物とは異なり、ここはさながら原っぱのようで、礎石がそこら中に転がっていた。まあ、これはこれで遺跡らしい。

ケルスス図書館(後述)から入れる通路には綺麗に列柱が残っていた。

ケルスス図書館

マーブル通りを進み、クレテス通りと合流する地点にあるのがこのケルスス図書館。恐らく、このエフェス遺跡で最も有名な建造物の一つだろう。

ここには当時1万2千冊の書物が収蔵されていたという。

図書館自体は平屋建てだったらしいが、入口正面は2階建てを思わせるような荘厳な門を構えていた。

4つの女性像はそれぞれ知恵、運命、学問、美徳を表している。

ところで、ギリシア建築には主要な柱の建築様式が3つある。シンプルだが荘厳さを醸し出すドーリア式、現在でもギリシャの国花として親しまれるアカンサスの葉を模したコリント式そしてこのケルスス図書館に使われているイオニア式

「イオニア式」の柱の装飾

イオニア式の特徴はこの両端に渦を巻く優美な外観。これは水の渦巻きを模しているとされている。

この地域に端を発する、自然の本質と根源を解明しようと試みた自然哲学の一派「ミレトス学派」のタレス(B.C.624頃-B.C.546頃)「万物の根源は水である」と唱えた。世界は水の上に成り立っているから、その他のあらゆる存在も全て水に由来するものだ、という考え方である。

そういう考えもあってからか、水を模した装飾がこの地方で生まれた…のかもしれない。

より分かりやすいイオニア式の装飾。
石に刻まれたギリシャ文字の碑文。現在のギリシャで用いられている文字とほぼ同じだが、ギリシャ人なら読めるのだろうか。

ちなみに、タレスは世界最初の哲学者であり、「哲学の祖」とも呼ばれる人物だ。図書館の建造も、こういった学問の発展から建設されたのだろうか。

クレテス通り

ハドリアヌス神殿

マーブル通りをケルスス図書館の突き当りで左折すると、緩やかな上り坂が続くクレテス通りになり、最初に見えるのがこの神殿。

名前の通り時のローマ皇帝で五賢帝の一人、ハドリアヌス帝に献上された神殿だそうだ。美しいアーチ状の入口には細部に至るまで細かい装飾が施されている。

また、この神殿の裏手には公衆トイレが残っている。仕切りがない上、座る間隔も大分狭そうだが、むしろ古代の人はトイレを社交の場として居合わせた人と会話を楽しんだそうだ。現代からすると考えられないが、興味深い。

ケルスス図書館、マーブル通り方面を望む。

トラヤヌスの泉

こちらも五賢帝の一人、トラヤヌス帝の名を冠する建造物。彼の治世でローマ帝国は最大版図を迎えた。

三角屋根が特徴的な建物だが、大部分が喪失されており、もはや何が泉なのか全く分からないため。往時の姿を想像するのは難しい。

ヘラクレスの門とニケのレリーフ

クレテス通りの頂上付近にあるのは、古代ギリシャ神話に登場する半神半人のヘラクレスを模した彫刻が彫られた…門?

と、このように現在はただの2対の柱のように見えるが、当時はアーチ状の門であったということが記録に残っているそうだ。

そしてこれがヘラクレスの門を通過したところにあるニケのレリーフ。先ほどのヘラクレスの門のアーチに掲げられていたそう。

ヘラクレスと同じくギリシャ神話に登場し、勝利の女神とされている。ローマ神話ではウィクトーリア、フランス語ではニース、英語ではナイキ。あのスポーツ用品メーカーの社名もここから来ていたり。

門からケルスス図書館方面を望む。

上のアゴラ周辺

ドミティアヌス神殿、ポリオの泉とその周辺

ポリオの泉(左)とドミティアヌス神殿(右)。いずれも原形はほぼ留めていない。

皇帝に初めて献上されたといわれる神殿がこのドミティアヌス神殿。しかし、ドミティアヌスは専制的な独裁を恐怖政治によって行ったため暗殺され、のちにこの神殿も悉く破壊されてしまったようだ。相当恨み買ってたんだろうな…

市公会堂とオデオン

ヘラクレスの門を通った後、左に曲がると見えてくるのがこの柱。昔は大衆が集まる公会堂として使用されていたようだが、これも列柱と基礎が残るのみとなっている。

当時は聖火が灯されていたそうだ。

市公会堂を通り過ぎると左手にオデオン(音楽堂)が見えてくる。この画角だと分かりづらいが、大劇場のように半円型になっている。

脇にある階段から中に入れる。

ここも入口近くの大劇場と同じく、コンサートは勿論のこと、民会の会場としても用いたようだ。

ヴァリウスの浴場

エフェス遺跡には2つの入口がある。私が来たようなセルチュクからのバスが到着する北側の入口と、反対側にある南側の入口の2つだ。

その南側の入口近くに浴場の跡がある。古代ローマと言えば浴場だろう(テルマエ・ロマエに毒されている)

2世紀建造と、2000年も前に造られたものにも関わらず、冷暖房やサウナを完備していたそうだ。やはり、古代ローマ人の浴場にかける情熱は相当なものなのかもしれない。

上のアゴラ。

ここまでエフェス遺跡をじっくり見てきた訳だが、なんだかんだで3時間はかかった。見ごたえある遺構がたくさんあることから、是非時間をしっかり取って訪れることをお勧めしたい。

以上、エフェス遺跡でした。

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