軍事博物館でトルコ史を辿る(古代~オスマン編)【23-24年末年始トルコ旅#7】

トルコ人のルーツ

さて、軍事博物館の入り口には建国100周年の記念展示があったのでついつい見入ってしまったが、改めて古代からの歴史を辿りたい。

元々、現在の「トルコ人」と呼ばれる民族は中央アジアで遊牧生活を送っていた。屈強で強靭な肉体を持つ彼らは、イスラムの奴隷軍人として採用され、以降はアナトリア半島に各々の侯国を持つようなにったそう。上の画像の通り、中東・ヨーロッパ方面へ進出しているのが分かる。

古代アナトリアで使われていた弓矢。
古代トルコ・アルファベット。今と全く異なり、解読不能。

現在のトルコ領…当時のアナトリア半島はまさしく群雄割拠の様相を呈しており、カラマン侯国やアイドゥン侯国、ジャンダル侯国など、複数の侯国が存在していた。後にオスマン帝国と呼ばれるに至る「オスマン侯国」も、そんな国の一つだった。

マルマラ海の南岸から少し内陸に入ったところにブルサという街があるが、ここがオスマン侯国の首都だった場所。ここから周辺諸国への侵略・併合を重ね、強大化していく。

オスマン帝国の勃興

当時の征服の様子…と思しき絵画。
当時のチェーンメイル。

この部屋ではオスマン帝国初期~全盛期にかけてのスルタン(他国の皇帝に相当)の肖像画や、武具、絵画等の展示があった。

これはオスマン帝国の最大版図。アジア側の領土は現在のトルコ領は勿論のこと、アラビア半島やカスピ海沿岸まで勢力圏に入っていた。一方ヨーロッパでは最盛期にバルカン半島の更に奥、ハンガリーまでをその支配下に置き、地中海沿岸のアフリカ大陸までその手中に収めた。

帝国の領土は三大陸に跨り、まさに「大帝国」と呼ぶに相応しいものであった。

帝国の常備歩兵・イェニチェリ

先ほどの部屋を抜けると、歴代のオスマン帝国スルタンの肖像画が並ぶ通路に出る。

メフメト2世によるコンスタンティノポリス征服

こちらは第7代スルタン、メフメト2世。やはり彼の功績といえば、1453年に長らく東ローマ帝国だったコンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)を陥落させ、新たにオスマン帝国の首都としたことだろう。

コンスタンティノポリスはこの征服以前も度々侵攻に晒されていたが、幾度となく侵略者を跳ね除けてきた。黒海とマルマラ海に挟まれた天然の要害であり、都市自体にも強固な城壁が築かれていたため、攻略は容易ではなかった。

先の通路を抜けた先に、イスタンブル征服をテーマにしたホールがある。

オスマン帝国軍は総勢10万の大軍を以ってコンスタンティノポリスを包囲。対するビザンツ側の兵力は1万と、兵力差は歴然。

メフメト2世は当時の最新技術で作られた「ウルバン砲」や奇策、妙策を用いて徹底的に攻撃。最終的にエディルネ門を突破し、見事占領。今なおトルコ共和国の最大都市として栄えるイスタンブールを手に入れたのだった。

「壮麗帝」スレイマン1世

第10代スルタン、スレイマン1世もオスマン帝国史に名を残す偉大なスルタンだ。彼の治世は帝国史上最も長く、約半世紀・46年に渡る。

1520年に即位した彼は翌年からヨーロッパ方面へ進出。現セルビアのベオグラード(ベルグラート)を征服し、続くハンガリーへの親征でも勝利。バルカン半島一帯をその支配下に置いた。更にはオーストリア方面へも乗り出し、ヨーロッパの奥深くまで進軍。ウィーンを包囲するなど、イスラム勢力の伸張は当時のキリスト教世界を震撼させた

また、スレイマン1世は内政にも力を入れた。帝国の領土が拡大して行く中で、イスラム法による統治機構を隅々まで行き渡らせ、文化面でも大きく発展した。

この時、オスマン帝国は世界史の主人公であり、まさしく黄金時代と呼ぶに相応しい時代であった。

当時の銃火器や砲門も多数展示されている。

帝国末期

さて、先に挙げた様に我が世の春を謳歌していたオスマン帝国だが、1699年の大トルコ戦争、1718年の第六次墺土戦争でプリンツ・オイゲン率いるオーストリアにコテンパンにやられてから雲行きが怪しくなった。1800年代後半に露土戦争で敗北して以降、「瀕死の病人」呼ばわりされるほどに帝国は衰退。かつて猛威を奮ったヨーロッパ方面では後退を続け、帝国は列強諸国からの脅威に晒されていた。

アブドゥルハミト2世

そんな中、第34代スルタンを務めたのはアブドゥルハミト2世。帝国末期では最も存在感のあるスルタンだ。

彼の治世下ではオスマン帝国憲法が発布され、憲法に基づく議会が開かれた。西洋列強に追従するための近代化への第一歩だったが、翌年ロシアとの戦争のために戒厳令を敷き憲法を停止してしまう。これを機に彼は自身に強大な権力を集中させ、国中にスパイ網を整備して完全な独裁体制を敷いた。

ちなみに、前回紹介したアタテュルクが青年時代を過ごしたのもこの時代。

独裁で国が良くなれば良かったものの、結局露土戦争には敗北、自由主義を求める過熱した世論をいよいよ抑え込めなくなり、遂には青年トルコ人革命を起こされ退位を余儀なくされた。

その後のオスマン帝国は、前回紹介した通りだ。

…と、すっかり博物館の展示に見入ってしまいましたが、本命はメフテルのコンサート。そろそろ時間なのでコンサートホールに向かおう。

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