旧ポルトガル領の雰囲気を残すマカオ歴史地区を歩く【前編】

さて、この日は朝からバスでマカオにやってきたので、最低限のマカオパタカをATMでキャッシング。カジノ・リスボア前から早速マカオを歩いていくことに。

一応香港ドルも流通しているとは聞くが、念のため。

到着が昼だったので、とりあえず屋台の雞蛋仔ガイダンジャイ(ワッフルみたいな香港のお菓子)で腹ごしらえ。美味い。

旧ポルトガル領マカオ

マカオとポルトガルの関係は、近世以降は世界史の表舞台から姿を消すポルトガルがノリノリだった16世紀の大航海時代まで遡る。

喜望峰を周り、インドに到達したポルトガルは、東アジアにも食指を伸ばした。そしてその当時、中国大陸を支配していた明朝から、海賊退治の見返りに居住権を得て、ポルトガル人居留区を形成。

その後はイギリスのアヘン戦争に影響され、1800年代中盤〜後半にかけてマカオ半島を占領し、完全に植民地化してしまった。

その後、第一次、二次世界大戦共に宗主国であるポルトガルが中立だったため、特に被害は受けなかったマカオは、当時の姿を今に残している(その一方、香港は英領だったので、一時日本軍に占領されたり、奪還を目指した連合軍機からの爆撃を受け、街が破壊されたという)。

カテドラル広場にある歴史地区の説明。

そのおかげか、マカオ歴史地区はユネスコの世界遺産にも登録されており、20以上の建造物が指定されているのだ。

そしてイギリスの香港返還と同年の1999年、マカオも中華人民共和国に返還され、香港と共に特別行政区となり現在に至る。

街を歩いていると、随所にポルトガル植民地時代の雰囲気が色濃く残っているのが肌で感じられる。

例えばこの道路標識には、ポルトガルでよく見られる「アズレージョ」というタイルが用いられており、ポルトガル語も併記されているのだ。

マカオ歴史地区

さて、そんな世界遺産となった歴史地区へ。カジノ・リスボア前から歩くこと10分、大堂前地(カテドラル広場)へやってきた。

マカオ開港後、駐在したポルトガル人によっていくつかの教会が建てられた。これはそんな教会の一つ、「大聖堂(カテドラル)」で、1622年のもの。

ただ、戦火は免れたものの、その前に台風で損壊しており、18世紀中頃に再建されたらしい。

教会の入口。ラテン語で”SS.M.V. MARIAE NASCENTI(この教会は聖母マリアに捧げられた)”と刻まれている。

内部はこんな感じ。正面の祭壇には十字架にかけられたキリストとステンドグラス。側面にもステンドグラスの装飾があるものの、大聖堂という割にはシンプルな構造。

今まで見たことのある大聖堂がストラスブールやケルンといった大規模なゴシック建築ばかりというのもありますが。

セナド広場

続いてマカオ歴史地区の中心部である「セナド広場」へ。この広場はポルトガルによる支配が及んでいた時代に、その統治の中心となっていた場所。

建物と街並みがあまりにも欧風なので、ここだけ見ると本当にヨーロッパに来てしまったかのような感覚に陥る。

正面右の建物は「仁慈堂大樓」。名前からも何となく分かるように、これはアジア最古の慈善団体である「仁慈堂」によって建てられたもの。正面から見た時の真っ白なファサードが非常に美しい。

中は博物館になっているらしいが、見逃してしまった…

そして広場の真後ろにあるこの建物は、今では市政署(日本でいう市役所)になっているが、昔はポルトガル統治の中枢として機能してきたもの。

セナド広場であることを示す表記。

しかし、ヨーロッパを思わせるセナド広場も、横の路地に少しでも入ると、雑多なアジアの雰囲気が漂ってくる。このギャップもたまらなく良いのだ。

聖ドミニコ教会

セナド広場から北に上がると現れるのが、この山吹色のファサードが特徴的な教会。これは「聖ドミニコ教会」で、1587年に建てられたもの。当時は木造だったそうだが、時代を経て今のスタイルに改修されたそう。

名前の通り、ドミニコ修道会が建てたもの。カトリックの一派で、他にはイエズス会などの修道会が有名。

さっきのカテドラルがシンプルな新古典様式だったのに対し、こちらの教会の内部設計はバシリカ形式という様式。ローマの集会堂にならった建築様式らしく、装飾が施された美しいアーチや、豪華な祭壇、2階側面に回廊があったりと、どこか優美な印象を受ける。

マカオのアズレージョ

続いて高台にある砲台に上がるため、来た道を戻ることに。

来た道とは違う道で戻っていると美しい青色のタイルが。これがアズレージョだ。

アラビア語で「光沢のある小石のモザイク片」という意味があるこのタイル。15世紀にスペインからポルトガルに伝わり、マカオにももたらされたようだ。

ここマカオでは壁の装飾に用いられているよう。

マカオの古地図らしい。

アズレージョは青の発色が本当に美しい。本国ポルトガルではこれがふんだんに建物の内装・外装に用いられているようなので、ぜひ行ってみたかったり。

実はさっきのカテドラル広場にもあった。

モンテの砦

セナド広場から大炮台公園まではひたすら上り坂。途中いい感じのフォトジェニックな路地があったりと、やっぱりこの街は歩き飽きない。

どこからでも顔を覗かせるカジノ・リスボア。

歩くこと10分ちょっと、「モンテの砦」こと大炮台公園に到着。外壁が剥げてモザイクアートのようになっているところに歴史を感じる。

1626年に建てられたこの砲台は、マカオ防衛の要。

中に入るとマカオのありとあらゆる方向を見渡すことができ、まさに防衛にはうってつけの立地であったことが伺える。長らく軍用として立ち入り禁止だったものの、1900年代後半に一般開放されるようになった。

ここには澳門博物館もあるが、今回はじっくり見る時間がなかったのでスルー。またいつか。

砲門が城壁の間からその姿を覗かせている。

聖パウロ天主堂跡

今度は先ほどの高台の麓にある「聖パウロ天主堂跡」へ。

これは1853年の火事で焼失した聖母教会のファサードだけが焼け残ったもの。バロック様式に特有の豪華な装飾が特徴的。さっきの聖ドミニコ教会とよく似た形をしている。

2段目にイエズス会の4聖人の像がある他、3段目には獅子の怪獣の装飾が施されているなど、東洋と西洋の様式が融合したものになっている…らしい。

ちなみに、マカオの観光地の前にはこんな感じで日本語の解説があるので、物凄く参考になる。ここで覚えたこと書いてあることを我が物顔で語っているなんて言えない。

解説にもある通り、像の左から3人目はかの有名なフランシスコ・ザビエル。教科書に落書きしていた人も多いんじゃないでしょうか。

このように東洋を思わせるような装飾も。

それにしても物凄い人である。日本はGWだが、香港・マカオはどうなのか・・・と調べていると、5月1日がメーデーで祝日、それと合わせて前後で休みを取る人が多いらしく、このようなことになっているらしい。一部交通規制も敷かれるほどだ。

とりあえずこの人混みから脱出するために、階段を下りて横の路地に入った。

エッグタルト

歩き始めて結構経ったので、路地にちょうどあったエッグタルト屋で再び軽食を摂ることに。

これがポルトガルの有名スイーツ「エッグタルト」。本国では「ナタ」と呼ばれているらしい。

外はパリッと、中はもったりとした感触。味は濃厚で、1つ食べるだけでも結構な満足感。2個買ったけど。

せっかくなので店特製のミルクティーもいただいた。エッグタルトとよく合っていて良い感じ。

続いて半島南側へ向かった。

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