ホテルで朝食を摂ったあと、少し部屋で準備してから10時半ごろにホテルを出た(激遅)。
ホテルからオトガルまで向かう道。海外旅行では視界に入る景色全てが新鮮で素晴らしいが、こんな景色は滅多にお目にかかれない。
カッパドキアのこの奇岩群は、はるか昔の数億年前に発生した噴火によってできた地層が、長い年月を経て浸食された結果できたものだそうだ。
ギョレメ・オトガル→ネヴシェヒル→カイマクル
ギョレメのオトガルはレストランなどが集まる街の中心部にある。
チケットオフィスにはアンカラから乗車したキャーミル・コチ社の他にも、最大手のメトロ社、地域交通のネヴシェヒル社などが軒を連ね、様々な行き先が目に付く。
カイマクルの地下都市に行くには、一旦県都のネヴシェヒルまで出た後乗り継ぐ必要があるため、とりあえずネヴシェヒル行のバスに乗車。ネヴシェヒル行はチケットオフィスの正面にあるバスプールから発車する。
ギョレメ→ネヴシェヒルは25TL≒120円。発車する前に運転手が集金に来るので、現金を用意する必要がある(お釣りはもらえた)。
ネヴシェヒルまでは奇岩の切通と起伏に富んだ丘を越えて20分ほど。オトガル(バスターミナル)ではなく、普通の路上で降ろされる。
カイマクル行は向かい側から発車すると案内されたので、軒下で待つこと10分ほど。ハイエースのようなワゴン車のバスがやってきた。
ネヴシェヒル→カイマクル(Kaymaklı)間は30TL≒140円だ。
カイマクルの地下都市
バスは地下都市入口の目の前に停車する。地上にある建物でチケットを購入し、いざ地下へ潜入。チケットは300TL≒1400円で、クレカ決済可能だ。
内部には寝室に通気口、ワイナリー、教会等があり、生活の全てがこの地下都市内で全て完結するようになっている。
ここで疑問なのは、なぜここまでの都市をわざわざ地下に造る必要があったのか。しかし、これについては当時の資料が乏しく、現在でも詳しいことは分かっていない。
一時はアラブ人の迫害を避けるためにキリスト教徒が住んだという記述も残っているが、この地下都市は紀元前400年ごろには既に存在していた、という記録も残っているため、そのために造られたという訳でもないようだ。
まさしく、謎多き遺跡となっている。
地下はまるでアリの巣のようになっており、さながら迷路のよう。順路は矢印で示されているのでよほどのことがない限り迷うことはないだろうが、それでも全容は全く把握できない。
屈んで人一人がやっと通れるような通路を抜け、またちょっとした広い空間に出る…というのを繰り返す。気分はさながら探検のようで、小学生の頃にこんなものが近所にあれば、きっと1日中遊べたことだろう。
そんな地下都市であるが、最盛期には2万人が住んでいたという記録が残っている。屈んでやっと通れるようなこの空間に2万人…一体どうやって生活していたのだろうか。
大体1時間ちょっとで見学終了。かなり見ごたえある遺跡だった。
乗り継ぎ時間を含めてまた1時間ほどバスに揺られ、ギョレメまで戻る。
昼食
ギョレメに戻ってきたのは14時ごろ。例によってインフルの影響で食欲減退中だったが、昨日からまともな食事をとっていなかったので、ここで遅めの昼食。
カッパドキア一帯では、野菜と肉を壺で煮込む壺焼きケバブが有名。せっかくなので頂くことにする。
今回行ったのはこちらのお店だ。
まずはチャイで一服。20TL≒100円。
このチャイを入れるグラス、デザイン良いから土産に買って帰ろうかと思っていたが、割れそうだし結局家でも使わなさそうだったのでやめた。
でも、今こうやって振り返っているとなんだかんだ買っておけばよかったなあと若干後悔。
そしてメインの壺焼きケバブ。このように石皿の上に出来立ての壺焼きケバブをドバドバ注いでくれる。
もう終わったか?と思ったらまだ奥から出てくる出てくる。最終的には結構な量になり、病み上がりvs大盛壺焼きケバブのフードファイトが始まってしまった。
いつも通り食べ放題のパンも付いてきたが、食べる余裕はなかった。
良い感じに野菜の旨味が肉に染み、調味料のおかげもあってか野菜が苦手な自分でも美味しく頂けた。ただ、量には気を付けるべし。
壺焼きケバブは460TL≒2200円だった。
店を出る頃には既に3時半。日が傾き始める前にギョレメパノラマでも見に行くことにする。
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