東ドイツの古都・ドレスデン(前編)【ドイツ・フランス卒業旅行#10】

ベルリン→ドレスデン

4日目。今日はドレスデンまで移動します。

まずは昨日の地下鉄でZoologischer Gartenまで行き、Sバーンで中央駅に出ます。

U2のPankou(パンコウ)行き。インターネットの民なら一度は聞いたことがあるであろう、総統閣下シリーズの「パン食う?」はこの地名の空耳だったり。

到着した中央駅の高架ホームから地下ホームへ移動。国際列車のECに乗車します。

EC(Euro City)はヨーロッパで運行されている都市間特急で、国境を跨ぐ場合に用いられる種別。ドイツ語読みだと「オイロシティ」となります。

この列車は軍港で知られるドイツ北部の港湾都市・キール(Kiel)から隣国チェコの首都・プラハへ向かう列車。車体に書かれているチェコ語の表記からわかるように、車籍はチェコ鉄道のもの。

1等車の車内はこんな感じ。よくある1+2の座席配置でゆったりと過ごせます。

定刻11:16、ベルリン中央駅を発車。列車はベルリン市内のBerlin Südkreuz駅に停車した後は、ドレスデン郊外のDresden-Neustadt駅まで停まりません。

列車はなだらかなドイツの丘陵地帯を走り抜け、2時間弱でドレスデン中央駅に到着。

高架ホーム
地上ホーム。帰りに撮影。

ドレスデン中央駅は2層構造の駅。我々が到着した2階の高架ホームは主にICEやECのような長距離列車が発着するホーム。一方の地上ホームは行き止まり式のホームとなっており、主にSバーンやRB,REといった短・中距離を走る列車が発着しています。

そして見慣れたドーム屋根。

予約したホテルは2駅隣のDresden Mitte駅が最寄りなので、そこで荷物を預け、再びSバーンに乗車して北へ2駅、Dresden Industriegelände駅で下車しました。

跨線橋より

中央駅から4駅離れただけですが、なかなかのどかな風景が広がっています。これでもドレスデンは人口50万を擁する立派な大都市。

この駅で降りたのは博物館に行くため。とはいっても先ほどのECの停まったDresden-Neustadt駅とこの駅の間に博物館はあるので、どちらで降りても大してアクセスは変わらないという何とも言えない立地です。

ちなみに、トラムだと博物館の隣にStauffenbergallee電停があります。

ドイツ連邦軍事博物館

ということでドイツ連邦軍事博物館に来ました(また歴史)

それにしても鉄塊がぶっ刺さっているように見える中々にパンチの効いた前衛的な外観。ドイツ分断の歴史でも表しているんでしょうか。

入館料金は学生3€。チケットと一緒にロッカーに使える専用コインをもらいました。

確か入口近くか階段近くにあった展示。吊り下げられた対地兵器に思わずゾクッとします。

さて、常設展示は中世ドイツ騎士団の歴史から始まり、その後神聖ローマ帝国、ドイツ帝国と続いていきます。

(ほぼ近代史の写真しかありませんがご容赦ください)

中世ドイツ騎士団の展示は槍や鎧にサーベルなど、まさに頭の中で思い描いたことのある中世ヨーロッパの世界が広がります。

プロイセン王国のシャルンホルストら。ナポレオン最盛期にあり、苦境に立たされていたプロイセン王国を軍事面から支えた。
プロイセン王国宰相(のちのドイツ帝国宰相)・ビスマルク(左)とプロイセン参謀本部総長・大モルトケ(右)
普仏戦争中、占領下にあったフランス・ヴェルサイユ宮殿で行われたヴィルヘルム1世の戴冠式。これをもってドイツ帝国が成立した。

この辺りまで来ると1800年末から1900年代。在位からわずか3か月で崩御したフリードリヒ3世(左)とその後を継いだ最後のドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世(右)。

ヴィルヘルム2世は外交政策でビスマルクと対立。あくまでも周辺国を刺激せず、他国との協調を図っていたビスマルクとは異なり、ヴィルヘルム2世はドイツ帝国のさらなる拡大を主張。やがてビスマルクを失脚させ、拡大政策へと舵を切ります。

その後は植民地獲得競争で英仏と対立し、建艦競争でも英(副次的に露とも)と対立。周辺国家ほぼすべてが敵となったドイツ帝国は、やがて同盟国・オーストリア=ハンガリー帝国と共に、サラエボ事件を機にドイツ包囲網の破壊を画策。そして第一次世界大戦へ突入し、滅亡への道をひた走るのでした。

当時の軍部や議会、国民も拡大政策にはノリノリだったようなので、ヴィルヘルム2世に全責任があるのかと言われれば、まあそうだと素直に頷けるわけではないかもしれませんね。

第一次世界大戦後のドイツではワイマール憲法を制定。「世界で最も民主的な憲法」とも絶賛され、その下に起こったヴァイマル共和制ですが、その実態は厳しい現実でした。

ヴェルサイユ条約で課された莫大な賠償金にハイパーインフレーション。それが収まったかと思えば追い討ちのように起こる世界恐慌、それに伴い600万人を数える失業者の発生…などなど、ドイツ経済が破壊されていく中で国民は共和国を見限っていきます。

そんな中台頭したのが極右政党・ナチスなのです。

当時のナチ党の選挙ポスター。
「マルクス主義(当時のヴァイマル共和制を指すと思われる)の14年間で前線兵士(訳曖昧)9000人が自殺で命を絶った!
マルクス主義ドイツはあなた方を騙し、裏切ってきた!
あなた方はインターナショナル(共産主義)のために血を流したのではない!ドイツのために血を流したのだ!
ドイツをマルクス主義から解放せよ!
前線兵士・アドルフ・ヒトラーに一票を!」(右ポスター訳)

当時のナチスは第一次世界大戦に負けたのはユダヤ人と共産主義者の陰謀であるとし、過激な反共・反ユダヤ主義を掲げ、強国ドイツの復活を主張。

実際、アウトバーンを始めとする公共事業の拡大等で失業者は改善、ヴェルサイユ条約の破棄によって大々的な軍拡を推し進めるなど、見かけ上は強国に向かっている…かのように見えましたが、戦争ありきの政策であったため、ドイツ第三帝国は徐々に綻びを見せるのでした。

反ユダヤのプロパガンダポスター。当時のナチスのイデオロギーでは、共産主義はユダヤ人の発明だとされ、東方はこうしたユダヤ人の貯水池であるとみなされていた(ユダヤ・ボルシェヴィズム)。

当時のナチスの褐色シャツ等の展示。

今でも”Kaiser Strasse(皇帝通り)”や”Bismarck Strasse(ビスマルク通り)”等、偉人の名を冠した通り名はドイツ各地に見られます。

そんなノリで当時は”Adolf Hitler Strasse“があったようです。

ドイツ軍で用いられたエニグマ暗号機。最強のセキュリティを誇ったが、戦中にイギリスが解読に成功。以降ドイツ海軍のUボートが航行位置を悉く看破されるなど、苦戦を強いられた。
降伏文書に調印するドイツ陸軍元帥ヴィルヘルム・カイテル。

戦後の展示も充実。西ドイツはじめとするNATO諸国の軍服や、いかにも東側といった雰囲気漂う東ドイツの展示、当時のベルリンの壁等々、見所盛りだくさん。

世界史が好きなアナタ、きっと見入ること間違いなしの博物館です。何時間でもいられるでしょう。

屋外には軍事車両も展示。

ミリタリーは完全に門外漢なので車両などは全く分からないのですが、そんなの知らなくてもこういった乗り物にはワクワクしたりロマンを感じたりするものです。

そんなこんなですっかり長居してしまったドイツ連邦軍事博物館。二郎系ラーメンマシマシぐらいのボリュームがあったので、ドレスデンにお越しの歴史好きな方は、半日ぐらいとっても損はないでしょう。

今宵のドイツ料理

すっかり日が沈んでしまったので、とりあえずドレスデン中央駅に戻り今夜の夕食を探します。

とりあえず博物館からまた10分ほど歩き、Dresden-Bischofsplatz駅へ。30分に1本な上、その列車は行ってしまったばかりなので、雪が降ってきたホームで凍えながら待ちます。

中央駅までは10分ほど。到着した後は中央駅から北に延びるドレスデンの歩行者天国・プラーガー通りを進み、曲がり角にあるGänsediebというお店に入店。

今夜もドイツビールで優勝

今回頼んだのは3品。左からザウアーブラーテン、(忘れた)、シュニッツェル(?)となっています。

ザウアーブラーテンとは牛肉を赤ワインと酢につけて煮込んだ料理、シュニッツェル(?)は仔牛のカツレツとなっており、どれも日本人の口に合い、ビールが進みます。

ドイツ来てから肉(主にソーセージ)とビールしか頼んでいない気がしますが、美味しいので全て良しとします(私が偏食なのでそもそも食のバリエーションが普段から無いのもありますが…)。

次回はドレスデン市内の散策です。

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