古代の叡智・都江堰&懲りずに四川料理を食す|盤盤麻辣湯・火鍋【ユーラシア大陸陸路横断記#12】

2025年11月17日(月)天気:雨のち曇 気温:12℃/9℃

あいにくの雨かつ気温がグッと下がる中迎えた12日目。日本人労働者が連続で休みが取れる期間は精々ここまでぐらいだろうが、なんとまだ旅程の1/10すら届いていないことに衝撃を覚える。

今のところ行きたいところに行き、美味い飯を食べ…労働という鎖から解き放たれての嬉しさしかない。ニートには才能がいるなんて言われるが、俺には才能があるからどうか続けさせて欲しい。

成都市内から都江堰へ

そんなことは置いておいて、この日は成都郊外にある都江堰とこうえんまで足を伸ばす。

都江堰は「青城山と都江堰」として世界遺産にも登録されている、古代中国の重要な治水施設。複合遺産なので道教発祥の地とも言われる青城山にも行こうと思ってはいたものの、「1日で2つ回るのは行けなくはないけど厳しい」という意見が散見されたので、この日は都江堰だけ。

中心部からは距離にして60km…郊外というには遠過ぎる距離だが、高鉄で行くことができるので、思ったより時間はかからない。

まずは春熙路から地鉄2号線に40分ほど乗車し、終点の犀浦シプまで向かう。

犀浦駅。

なんとこの駅、地鉄と高鉄が同一ホームで乗換ができる。このまま乗換改札を通り、都江堰最寄りの离堆公园(離堆公園)駅まで向かう列車に乗車。

途中2駅に停車したものの、50kmの道のりを30分で走破してしまった。

仰天広場に仰天。

外は霧雨が降っており、駅出口ではカッパを持ったおばさま達が「お前これ要るだろ!」とばかりに営業をかけてくる。実際折り畳み傘は宿に忘れてきてしまったので、いくらか聞いてみると10元。一日中外にいることも考えて買うことにした。

そして恐らく、駅からはバスで都江堰までは行けるはずだが、路線がよくわからなかったので歩いていくことに。駅からは歩いて約20分だ。

都江堰景区

横にあるチケットカウンターで80元(≒1,760円)の入場券を購入し、両脇にある身分証明書改札からパスポートで入場。

冒頭にちょろっとだけ触れたが、そもそも都江堰とは岷江に存在する古代灌漑・水利施設。建設はなんと秦の時代、つまり紀元前だが…この都江堰によって岷江の水は安定的に成都平原へ供給されるようになり、成都含む四川盆地一帯を「天府之国」たらしめる大穀倉地帯へと変えた、非常に重要な遺産なのだ。

雨は嫌だが、まあ雰囲気も出ていて悪くはないかなという気持ちに。

これが入口から真っ直ぐ行ったところにある「伏龍観(伏龙观)」内の都江堰のジオラマ。

当時の岷江は毎年のように洪水を起こしており、農業をする上で非常に大きな問題となっていた。当時の専門家である李冰りひょうは、必要量だけ成都平原に水を流すことはできないかと考え…編み出されたのがこのシステムという訳だ。

都江堰には大きく分けて3つの大きなポイントがある。それが魚嘴ぎょし飛沙堰ひさえん、そして宝瓶口ほうへいこうだ。

ご丁寧に解説ビデオも流れていたので、ぜひ紹介していきたい。

魚嘴

李冰はまず岷江に中州を設け、本流を外江と内江に分ける魚嘴を中州の先端に造った。外江が岷江の本流であり、内江に流れる水が成都平原にもたらされるという仕組みだ。

雪解け水が流れたり雨量が多い時期…つまり豊水期には外江に流量の60%、内江には40%程度の水が流れるように水を分け、その逆である渇水期には流量の割合を逆転させるという高等技術だ。

安瀾索橋から望む魚嘴の様子。
魚嘴の先端から岷江を望む。

紀元前に水量を調整してくれる機械などある訳がないので、川幅やカーブの位置等を綿密に計算した上で魚嘴の位置を決め、このような配分になるよう設計されているのが凄い所。

こうして成都平原へ十分な量の水量を確保するという訳だ。

古代の叡智ってすげー!

飛沙堰

続く飛沙堰は、内江に入った水の流量を調整する設備。

このように、内江の流量が一定以上になると、内江と外江とを分断している飛沙堰が自壊し、内江に入りすぎた水や土砂を外江、つまり岷江本流に戻すというメカニズムになっている。

飛沙堰。

宝瓶口

最後に、内江に入った水を成都平原方面へ流すのがこの宝瓶口。中国語読みだと「バオピンコウ!」と中々語感が良いのが個人的お気に入りポイント。

これは山を切り開いて造った人工の水路で、ここを通った水が最終的に成都平原の灌漑水路に流れていく。

また、狭く造ることで流入量にも物理的な制約をかけているという、これまでの2つにこれを足すことで、あまりにも盤石な水利設備に仕上がっているという訳だ。

紀元前250年ごろに火薬爆薬はなく、岩を熱しては熱膨張させ、水をかけて急速に冷却することで収縮させ…を延々と繰り返すことで岩山に亀裂を入れて掘り抜いたという(ちなみに火薬の発見は唐代、ノーベルによるダイナマイトの発明は1867年とかなり先の出来事)

画面にも出ているが、掘り抜くのに8年かかったそうだ。

こうして魚嘴、飛沙堰、宝瓶口の三種の神器で岷江の水量をコントロールし、成都を中国国内でも有数の穀倉地帯に押し上げ、現在にまで至る歴史を築いてきたという訳だ。

伏龍観の建築もなかなか乙なものだ。

松茂古道

都江堰景区は広大な自然公園になっているので、3つの水利施設を見た後は松茂古道という散策コースを歩いてみることに。

二王廟

しばらく歩いていくと、「澤護雨渠」と扁額に書かれた門が現れる。意味はよく分からないものの、「渠」という文字から、水路、つまり都江堰を称える何かのよう思える。ここが二王廟の入口だ。

二王廟の「二王」とは、都江堰を造成した李冰と、その跡を継いだ息子のこと。暴れ川であった岷江を見事都江堰でコントロールするという偉業を達成したとして、後代の王から王号が与えられ、民間信仰とも融合して神格化されていったそう。

そんな2人が祀られているのがこの廟だ。

廟には「返璞歸真はんぱくきしん(飾りを捨て、本来の素朴で純真な姿に立ち返る)」、「道行天下(正しい道・教えが天下に広く行き渡る)」等、非常に道教チックな熟語が並ぶ。

前日に訪れた青羊宮(こちらも道教寺院)の雰囲気にも似ている。

更に「利濟斯民りさいしみん(民に利益をもたらし、救済する)」、「利濟全川(四川全土に恩恵をもたらす)」と李冰父子の偉業を称える扁額が並ぶ様子からも、この二王廟の立ち位置がよく分かる。それほどまでに圧倒的な実績だということは、これまでの展示や実際の遺構からも良く分かる。

玉壘閣

今度は古道から逸れ、階段で上がっていくと、行き止まりに立派な建築が現れる。

「堰江都」の字は第5代国家主席・江沢民のもの。

歴史のありそうな建築だが、中には長~~~いエスカレータを完備。

この上に登るには別途40元(≒880円)かかるものの、せっかくここまで来たので行ってみることに。

エスカレーターを降りて現れるのが、いかにも中国らしい六角形の多層楼閣である玉壘閣ぎょくるいかく(玉垒阁)。ちなみにこれも古そうに見えるが、建設は2010年と激最近。

この楼閣がある山(玉壘山)が標高865mと結構高い上、楼閣自体が50mあるのでここからの眺望はそれはもう抜群に良い。

ただし、楼閣の内部は2010年に造られたとは思えないほどに急な階段が続き、中々しんどい。

都江堰側には山が迫っているが、反対側に目をやると見渡す限りの平野が成都市街方面に限りなく広がっている。四川盆地…「盆地」と聞くと、4年京都で暮らしていた筆者は反射的に京都盆地のようなものを想定してしまっていたが、内陸部にこれほどまでに広い平野部があることに本当に衝撃を受けた。京都盆地なんてこれに比べたら鼻クソみたいな小ささだ。

これが李冰父子によって繁栄した「天府之国」である四川盆地・成都平原なのかとしみじみ。

一方こちらは都江堰側。岷江と水利施設の全体像が掴みやすく、改めてどんな構造かがよく分かる。

今でこそコンクリ製の立派な水門が付いてはいるが、2000年にも渡って四川を支え続けた偉大な治水事業であることに疑いはない。

その後は古道を散策しながら下山。

麓に戻ってきたら既に15時半になっていた。早起きすれば青城山も行けなくはなさそうだが…確かにしんどそうではある。

潅県古城を散策

都江堰に隣接して広がるのが潅県古城(灌县古城グァンシエン・グーチョン)という旧市街。

実は朝から都江堰景区内で食べたソーセージ1本しか食べていないので、猛烈に腹が減った。

幸い、ここは屋台街と商店街になっているので店には困らない。「成都滞在中は四川料理以外口にしてはいけない」という勝手なマイルールに従い、今回もそんな四川料理を求めて古城端にあるとある店に入った。

ここで頼んだのは、何故か今日本で爆発的に流行している麻辣湯マーラータン。なぜあんなに流行っているのか、無知な私に誰か教えてください。

そんな麻辣湯は勿論ここ四川発祥。店員のおばちゃんに頼んでみるも、やはり上手く中国語が伝わっていない。こちらが中国語を解さないと分かっていても、当然向こうはゴリ押すしかないのでタジタジ。

最後は漢字でなんとかした。ありがとう、漢字。

そして出てきたのがこれ…ってなんか思っていたのと違う。

そう、これは伝統的な麻辣湯とは異なる、盤盤麻辣湯(盘盘麻辣烫パンパンマーラータン)という形態のもの。中国のWiki的存在である百度百科によると、2019年頃から出現した新しい麻辣湯らしい。

思いっきり混ぜてたれと絡ませ、米と一緒に喰らう。野菜は苦手な筆者だが、こうして辛いものにどっぷり浸かっていれば食べられるのでありがたい。

ちなみに接客は適当で、客が来るまでは暇そうにスマホをいじり、作り終えたらまた他の客に混じって暇そうにスマホをいじる…いや、これこそ労働者のあるべき姿だろ!何が悲しくて誰も来ないのにレジに突っ立っている必要があるのだろうか、ワカホリ大国日本は反省してほしい。

さて、ご飯も食べて市街地に戻ろうと思い次の列車を調べると、なんと1時間半後。雨も多少降っているので、雨宿りがてら雰囲気の良いカフェに入って一休み。

レモンティーを嗜みながら日記をしたためる。いやあ、良い時間だった。

店員がかなり若くフレンドリーなギャルで、会計時に「どっから来たの?日本!?ウチ山田涼介好きだよ!」と気さくに話しかけられた。「また時間あったらここに来て!もっと話そう!」と言われ、適当に二つ返事をしてしまったが…ごめん、地味に遠いしもう来れない気がするな。

そんなこんなでのんびりしていたら列車の時間が近づいてきたので、早々と朝に利用した離堆公園駅に向かった。

地獄の火鍋

市街に戻った後は疲れていたので真っ直ぐ宿に向かいダラダラしていたのだが、変な時間に麻辣湯を食べてしまったせいで22時半にもかかわらず腹が減ってしまった。宿に戻る途中火鍋屋を見かけた記憶があるので行ってみることにした。

なお、成都では死ぬほど火鍋屋を見かけるので店選びには困らない。

店に入ると例によってアリペイからQRを読み込んでメニューを見る。ベースとなる鍋を選んでから具材を注文する模様。もちろんここは麻辣火鍋だ。

火鍋は辛さが選べるのだが、店の人に「お前はこれぐらいにしとけよ…」と言いたげな顔で「微微辣」を無言で押された。そんなに辛いのかと、この時点で不安に。

そうして提供された鍋は、赤を通り越して最早黒に近い見た目をしていた。これ、本当に微微辣ですか…?

とりあえず提供された具材を適当に鍋に放り込んでしゃぶしゃぶしてから、とりあえずもやしを一つまみ…熱っ!ああ、まあこんなもんの辛さ…いや、

辛!!!!!!!

口に放り込んだ瞬間は熱さでよくわからないのだが、死ぬほど辛い何の冗談かと思うぐらい辛い。食べ進めていくにつれて顔面や指先が痺れ、動かしづらくなっていく。辛ラーメン、蒙古タンメン中本の北極…これまで食べてきた辛いものが全て無に帰されるレベルだ。日本の激辛料理なんてお遊びに過ぎないことを思い知らされた。

店員が「辛いか?」と訊いて来たので全力で頷くと、お湯をドバドバと鍋に注いでくれたが、焼け石に水。入店してから入口に近い席に案内され、ちょっと寒いなとか思っていたがそんなことはもうどうでも良くなっていた。ああ、四川人はこうやって冬を凌ぐのか…

お茶を何度もおかわりしつつ、何とか食べ切って退店。これからの人生で「今までの人生で一番辛かったのは?」と聞かれたら、「成都の麻辣火鍋」だと即答できる

てっぺんを回った頃にまたドミトリーのベッドで横になる。胃がヒリヒリと熱く、全く寝付けなかった。

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