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2025年11月4日、役所での手続きや外貨両替等、旅立つ前に諸々の一仕事を終え、昼下がりに大阪駅へ向かった。

まず目指すのは下関。陸海路のみでイギリスを目指す今回の旅行では、日本から大陸へどのように出るかが鍵となるが…一旦は関釜フェリーで韓国・釜山へ向かうことに。実は大阪からも釜山行フェリーは出ており、なんならいきなり大陸に行ける上海行のフェリーなんかも出ていますが、せっかくなので刻んで行くことに。

15時発の新快速姫路行きに乗車。職を失ってしまったので、少しでも旅費を浮かすために在来線で見慣れた山陽路をひたすらに西進。姫路、相生、岡山、糸崎と乗り継ぎ、5時間半かけて広島までやってきた。

夕食後は既に21時。このままでは今日中に下関に辿り着けなくなるので新幹線に乗り継ぎ、厚狭まで移動。また在来線に乗り換えてそのまま下関に住む友人の家に泊めてもらった。

幕間 -関門にて
翌5日は旅立つ前に友人と門司・北九州観光。街歩きがとても楽しい街で居心地がよく、もうこれだけでいいんじゃね?とか少し思ったり思っていなかったり。




夜に友人と鉄なべ餃子をつつき、ビールをあおる。ここだけ切り取ればなんてことのない日常なのだが…後に控える膨大な非日常を前に妙な胸騒ぎがする。長く温めておいたこの計画を遂に実行できる時が来たという気持ちと、本当にやるのか…?という気持ちがずっとせめぎあっていた。
旅の始まり
2025年11月6日(木)、迎えた1日目。
仕事に出て行った友人を横目に二度寝。この時、既に有給消化も入れて20日以上労働から離れているが、つくづく無職って最高だと心の底から思う。
シャワーだけ借り、トイレットペーパーを1ロール拝借してから家を出て頼まれていた郵便物を出し、14時ごろに下関の中心部へ。駅に隣接するシーモールの丸亀製麺で釜揚げうどんを食べ、15時半に下関港国際フェリーターミナルへ向かった。
乗船は18時過ぎからなので早すぎるが…もうやることも尽きた。

チケットカウンターで旅客税等を払って乗船券を引き換え、待合室で国会中継を見ながらひたすら待機。最初はまばら…というか本当に5,6人しかいなかったが、乗船時刻が近づくにつれて徐々に増え始め、18時過ぎには長蛇の列が形成されていた。見たところ、日本人と韓国人が半々といったところ。

飛行機と違って手荷物検査等はそこまで厳重ではなく、その後はあっさりと“KANMON”と書かれた出国スタンプを押された。

いよいよ5ヵ月に渡る旅の始まりだ。

関釜フェリーは日本・韓国の客船が交互に行き来しており、今回乗船したのは日本船籍の「はまゆう」。

船に乗ったらまずやること。それは甲板に出て海風を浴びることだ!


出航前、甲板ですっかり暗くなった下関の街並みを眺めながら、これからの長い旅路を案じて物思いに耽る。
5か月弱、140日…こんな長い期間旅をしたことは当然一度もない。一番長くて精々12日だ。想像もつかなければ、今から自分がそんな長期旅行を実行するという実感も湧かなかった。
出航
19:45、そんなことを考えているうちに離岸・出航。街の明かりが遠のき始め、やがて山影に消えて行った。海風を全身に浴びながら、見知った街がゆっくりと離れていく…やっぱり船旅っていいなあ。

しばらく甲板で感慨に耽った後は、レストランに行ってみることに。

ここのレストランは食券制で、うどんやビビンバ、定食などかなりバリエーション豊か。

自分はそこまで腹が減っていなかったので、白米にから揚げ、それに韓国のりを注文。店員の人は韓国の人が多かったが、日本語も流暢に話せる。凄い。

夕食を食べてからまた甲板に出ようとしたところ、「閉鎖中」との看板が掛けられ、出られなくなっていた。残念。
仕方ないので客室に戻り、早いけど横になる。客室は電波が通じない。日記と入国カードを書いたら早々にやることがなくなって…そのまま眠りについた。カードの職業欄に“NONE”と書くのは、後にも先にも中々ない経験だろうな。
最初の国である韓国・釜山には明朝8時に到着予定だ。



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