11日目は長そうになるので2分割で。
詩聖・杜甫が暮らした杜甫草堂
青羊宮の後は歩いて30分、2kmほど離れた杜甫聖堂へ。

杜甫と言えば国語の漢文でも習う超有名人物。彼が詠んだ「春望」の一説である「国破れて山河在り…」は必ず一度は聞いたことがあるはず。
同時代を生きた李白とよく対比され、李白は「詩仙」、杜甫は「詩聖」と呼ばれたりする。両者とも中国文学史の中でも指折りの存在だ。


草堂の中に入ると美しい庭園が現れる。やはり、美しい詩を詠む詩人は富と名声を手に入れ、こういう所に住むようになるんだなあ…と勘違いしそうになるが、杜甫が生活したのはこの一角にある質素な茅葺屋根の家。
そもそも、杜甫の人生はそんなに美しいものではなく、不遇の連続だったと言われている。現在の姿は後世になって彼が評価され、修復と拡張が繰り返されて博物館となったからこそだ。
草堂を散策しつつ、杜甫の人生を追いかけてみる。

そもそも杜甫は成都出身…ではなく、現在の河南省にあたる地域の出身。杜甫の家は代々官吏を輩出する名家で、杜甫も官吏となることを目指したそう。青年期まで同地域にある洛陽を中心に、呉(現在の江蘇省(蘇州・南京等)に遊学しつつ、再び地元の洛陽に戻って来て科挙を受験するものの…結果は不合格。

当時、詩を詠むような文化人は官職を得て俸禄をもらうことが王道のキャリアであり、詩はそのための重要な文化資本でもあった時代。
その後杜甫は洛陽で李白と出会い意気投合したり、結婚して家庭を持つようになるのだが…

地元では思うように官職が手に入らず、これを求め一路長安(現在の陝西省・西安)へ。
ここで現地の有力者とコネを作ったり、再度試験を受けるなどするものの、思うように上手くいかない日々が続く中、遂に755年、武器管理の役人として俸禄をもらう身分となった。この時、杜甫44歳。

そんな矢先、当時の唐で有力な軍司令官である安禄山が反乱を起こした安史の乱が勃発。一時長安は占領され、家族だけはなんとか長安から逃した杜甫だったが、自身は反乱軍に捕えられ軟禁される羽目に。
そんな中で生まれた詩が冒頭でも紹介した、かの有名な「春望」なのだ。

「春望」
国破山河在 城春草木深
(国破れて山河在り 城春にして草木深し)
感時花濺涙 恨別鳥驚心
(時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨みては鳥にも心を驚かす)
烽火連三月 家書抵萬金
(烽火三月に連なり 家書萬金に抵る)
白頭掻更短 渾欲不勝簪
(白頭掻けば更に短く 渾べて簪に勝えざらんと欲す)
乱で長安の都が破壊されても、山河は変わらずここにある。街は春を迎え、草木が生い茂っている。
時勢の有様に悲しみを覚え、花を見ても涙がこぼれ、家族との別れを思い、鳥のさえずりにさえ胸が痛む。
戦ののろしは3ヶ月にわたって続き、家族からの手紙は万金にも相当する(ほどありがたいものだ)。
白髪になった頭は掻くごとに薄くなり、満足にかんざしすら挿すこともできない。
自身が仕官し、栄華を誇った都が戦乱で荒れていく。その後杜甫は長安を脱し、再び官職を得たものの左遷されてしまい…あれほど希った安定した職を捨て、現在の甘粛省のあたりを経て成都に至ったのだった。

そして援助を得て建てたのがこの「草堂」と呼ばれる茅葺屋根の質素な家。
ささやかながら庭園を造ったり、草花を植えたりと、質素ながらも穏やかな暮らしを送ったようだ。




そして杜甫の詩風や人生観がよく現れているのが、この碑文にある「茅屋為秋風所破歌」。

嵐で家の屋根が吹き飛び、吹き飛んだ茅葺は子供達に盗まれ、雨風で布団を濡らしながら暮らす日々…これまでの境遇も決して恵まれたものではなかったものの腐ることなく、むしろ「安得広厦千万間 大庇天下寒士倶歓顔(どうすれば一千万もの広間がある家を建て、天下の貧しい人々を皆覆い守り、喜ばせることができるだろうか)」
「風雨不動安如山 嗚呼何時眼前突兀見此屋 吾廬独破受凍死亦足(山の如く雨風に動じない安らかな家 ああ、いつかそんな家々が立ち並ぶ様子を見ることができるのなら、私の家だけが壊れ、凍死したって構わない)」
やはり官僚を志す人はこれほどの想いを秘めてるのかあと感心してしまう。あまりにも立派だ。

これは「杜甫伝」の著者でもある20世紀の文学者である馮至(冯至)の草堂に関する評で、
人們提到杜甫時盡, 可以忽略了杜甫的生地和死地,卻總忘不了成都的草堂
人々が杜甫について語る時、杜甫がどこで生まれ、どこで亡くなったかは忘れることがあっても、成都の草堂だけは決して忘れることはできない。
と評するほど。それほどまでに杜甫と成都という街の結びつきは強いのだ。


杜甫の生涯や世界観に触れることができる杜甫草堂。都会の喧騒から離れた静謐な雰囲気が良かったのでかなりオススメしたい。

最後に、私が大好きな杜甫の詩で締めたいと思います。
「旅夜書懐」
細草微風岸 危檣独夜舟
(細草微風の岸 危檣独夜の舟)
星垂平野闊 月湧大江流(星垂れて平野闊く 月湧きて大江流る)
名豈文章著 官応老病休(名は豈に文章もて著れんや 官は応に老病にて休むべし)
飄飄何所似 天地一沙鷗(飄飄何の似る所ぞ 天地の一沙鷗)
岸辺の細い草をそよ風が揺らし、高くそびえる帆柱のもとで、一人過ごす夜の舟。
星空は地平線に垂れ下がるように輝き、平野は広々している。長江は月を映しながら滔々と流れている。
人の名声は詩文によって立つものなのだろうか。官職は老いて病気がちになれば、辞することになるだろう。
風の吹くままにさすらうこの身は何に例えられるのだろう ――広大な天地の間を漂う、砂洲の一羽のカモメのようだ。
旅の最中にグッと刺さる詩だ。

当時近くでは地鉄13号線が建設中。現在は開業しているとの事なので、かつての最寄駅である草堂北路駅よりもさらに近くになった。
インフラ建設のスピード感は本当に凄いんだよな、中国…
本場の担々麺
杜甫草堂を出ると既に18時。成都では行きたい店を事前に少しだけリサーチしており、一軒目が陳麻婆豆腐、そして二軒目が純陽館(纯阳馆)だ。

成都の夜市・寛窄巷子を通り抜け、歩く事10分ほど。駅からは少し離れた場所に純陽館はあった。


お目当ての担々麺は1杯11元(≒240円)で、以降麺を一玉増やすごとに2元(≒44円)追加されていく模様。
メニューを見ていると早速老板が話しかけられたので、声高らかに「ダンダンミェン!」と注文すると、「辛味ワンタンもオススメだぞ!」と言われたので紅油口磨抄手も注文。

先にワンタンが着丼。丼の底に溜まったタレとワンタンを混ぜていると、先ほどの老板が満足そうな顔で「对对对(そうそうそう)」と頷いていた。
結構辛そうな見た目をしているが、食べてみると意外と辛さは控えめで、モチモチとしており旨辛い。

ワンタンを頬張っていると続いて担々麺も到着。
日本で「担々麺」と言うと、ラーメンのようなフォルムを想像してしまうが、ここ本場四川の担々麺は汁無しがデフォ。

これもよく混ぜてからいただくと、醤油の力強いコクの中に奥行きのある辛味が後から付いてくるような感覚で非常に美味い。
一口に「辛さ」と言っても色々な系統がある。四川料理は奥深い!


