歴博と2000km寝台高鉄の旅|上海→成都【ユーラシア大陸陸路横断記#10】

2025年11月15日(土) 天気:晴 気温:20℃/15℃

この日は10時に起床。12時までにチェックアウトを済ませれば良いので、シャワーを浴びてからのんびりと身支度し、11:45に宿を出た。こんなゆるゆるなペースで旅をできるのが1人旅の良い所だ。同行者がいたら今頃ぶっ飛ばされているだろう。

上海歴史博物館

さて、宿を出たはいいものの、この日は別段やることを決めていない。南京路に外灘、古鎮、豫園…上海で定番の観光地はあらかた回った。そんな時に役に立つのが博物館だ。展示物は面白いし、何より賢くなった気分になれる。そんな訳で1駅先の人民広場まで歩き、上海歴史博物館に入った。

立派な鐘楼を備えたこの建物は1934年に建設され、上海跑馬総会、つまり上海競馬倶楽部の本部として使われていたもの。1900年代前半、競馬、鐘楼…ご想像の通り、これはイギリスの影響を強く受けた建築だ。

手荷物検査を受けて中に入る…あれ、チケット売り場が無いと思ったが、なんとこの博物館、入場無料だ。

入ってすぐのエントランスでは、遠い昔(远古)から晋、唐と時代を追っていくムービーが流れていた。これだけでもなかなか見応えがある。

展示フロアは1階から4階までで、最初はもちろん古代から。

これは「卓越創造」とある通り、古代における江南地域の生産技術を紹介した展示。犂を使った耕作や製陶など、古くから長江周辺では高度な技術が発達していたようだ。流石は世界四大文明の一角を占める黄河・長江文明だなあ。

市鎮の勃興。現代の上海市域に水運を背景に都市が発達していった。

明・清期における科挙の答案・試験文書。最初勘合貿易で用いる勘合か?と思ったのは内緒。

アヘン戦争

一気に近代まですっ飛ばしてしまうが、やはり個人的に気になる・興味があるのはこの辺りの歴史。

アヘン戦争とは?

イギリスは中国茶を輸入するために、清へ銀を輸出していた…が、政府は一方的な銀の流出を問題視。そこで当時英領だったインドでアヘン(麻薬)を栽培し、インド産アヘンを中国へ、中国茶をイギリスへ、英国産綿製品をインドへ、そしてインド産アヘンを中国へ…という三角貿易を行った。

すると清ではアヘン中毒者で溢れかえったため、清朝はアヘンの輸入を禁止し、イギリス商人からアヘンを没収すると、これにイギリスが逆上

武力で勝るイギリスは清をコテンパンにした後に不平等条約を結び、上海・寧波・福州・厦門・広州の5港の開港に香港の割譲が決定。ダメ押しの追加条約で租界の設置も決定される…という、イギリスを代表する畜生エピソードの一つ。

これはアヘン戦争の推移。圧倒的な軍事力を誇るイギリスは広州、厦門といった長江以南の大都市を次々と占領し、最後は長江に侵入し鎮江を陥落させ、1842年の南京条約でアヘン戦争は終結。

その後は開港した上海にイギリスの居留地ができたのを皮切りに、アメリカやフランスも進出を始め、欧米列強諸国の租界が置かれるようになったのが当時の上海だった。

租界境にはこのような境界標が置かれ、区域は厳格に管理されていた。ちなみにこれはイギリス・フランス間の境界標。
「裕中銭荘」とは中国における伝統的な金融機関。「兌換」や”TO LET”という看板からも、上海が国際的な金融都市として発展していく礎にもなったのだろう。

日清戦争から一気見

そんな欧米列強が中国へ進出する中、中国に手を伸ばすもう一つの国があった。日本だ

当時の日本は1875年に発生した江華島事件をきっかけに、不平等条約である日朝修好条規を結ぶなどして朝鮮への圧力を強化。しかし、これに清が干渉してきたために、朝鮮を巡る覇権争いが始まってしまった。

そんな中、朝鮮では甲午農民戦争と呼ばれる内乱が勃発。これを鎮圧できなかった朝鮮は日清両国に軍隊の派遣を要請し、両国はこれを鎮圧した…のだが、日本は朝鮮の覇権を巡ってこのまま清朝と戦争することを決意。清朝側も主戦論を唱え、遂に両国が衝突する日清戦争が始まった。

中国を列強が分割しようとしている様子を描いている当時の風刺画。ロシアは熊、日本は太陽、イギリスは犬…などなど。

日本軍は平壌、黄海海戦等の緒戦を有利に進め、威海衛を陥落させたことで清朝の北洋艦隊が壊滅。1895年に下関条約が結ばれ、日清戦争は日本が勝利

以降、清は上記風刺画のように分割されていくのでした。

これは孫文の書。辛亥革命で長らく続いた王朝である清朝を打倒した後、共和制国家である中華民国を建国したことで有名だが…そんな孫文が好んだのが「大道之行也 天下為公」という政治理念。「大道」…つまり世の中が収まる理想的な道理・秩序が行われる世では、天下は特定の皇族の私物ではなく公のものであるという考え方。

結局、中華民国は上手く行かず、軍閥が各地で割拠する不安定な体制になってしまいましたが…現代中国での評価は高め。なんでも、封建王朝を倒し、中華人民共和国への道を開いた、革命の先駆者的な扱いだそうで。

やはり建国神話が大事なんですかねえ(遠い目)。

有名な共産党宣言。

「中共創建 開天辟地」、つまり中国共産党が創設されるという天地を切り開くような出来事…が起きたということ。まあ、現代の中国を見ているとあながち間違ってはいないよね。

ちなみにこれは一次大戦後の1921年。ここから日本は中国への権益拡大のために圧力を強めていく。

1928年の張作霖爆殺事件に続き、1931年の満州事変で傀儡国家である満州国を建国、その後も上海事変などが起こる中で1935年に中国共産党が出した声明がこの「八一宣言」

当時の共産党は蒋介石率いる国民政府と内戦状態にあったものの、これを止めて共同して日本に抵抗しよう!との声明で、これが後の抗日戦線である第二次国共合作に繋がっていく。

共産党と国民党が団結する様子を描いた当時のポスター。

そして盧溝橋事件に端を発した日中戦争が1937年に勃発。日本軍は上海、南京を占領して国民政府を重慶に追いやるものの、太平洋戦争が始まると戦争は泥沼化。

太平洋戦争で緒戦は勝利を重ねた日本軍も、長期化に伴い戦線は後退…最終的にはポツダム宣言を受諾し、同時に中国戦線も消滅。これで中国に平和が…戻ってこないんですねこれが。

当然戦争が終わると、再び国民党と共産党の国共内戦が本格化。序盤は国民党が優勢だったものの、次第に形勢が逆転し、1949年5月27日に共産党の人民解放軍が上海を占領(上海解放)。その後10月1日に毛沢東の下で中華人民共和国が建国され、国民政府は台湾へ移転し、現代まで続いています。

毛沢東の肖像を掲げ、上海を凱旋する人民解放軍の兵士を描いた様子。

以上、上海歴史博物館でした。

無料で先史時代から現代中国の歴史まで辿れるのは本当に素晴らしいと思うので、上海観光で時間ができたら行ってみるのもいいかもしれない。

博物館屋上から眺める上海のスカイライン。

上海虹橋駅へ

時刻は15:40。今日予約している列車は18:44発なので、遅めの昼食を食べ、荷物を取りに行って駅へ向かうことを考えたらちょうど良い時間だ。

近代的なガラス張りの高層ビルを背景に、あり得ない量の電線が太い線を作っている様子がチグハグで面白い。

結局街中をフラフラ歩き、南京東路駅近くの店で紅焼牛肉麺を食べてから上海虹橋駅へ向かうことにした。

17:50、上海虹橋駅に到着。相変わらず中国の高速鉄道駅は空港を思わせるような内装と規模をしている。ここは上海虹橋国際空港も併設されており、中国を代表する空と陸の玄関口になっている。

世界各地から航空機が飛来し、中国各地へ高速鉄道が発着する…なんというロマン。交通ハブというのはまさしくこういう所を言うのだろう。

安全検査を受けて中へ。中国屈指のターミナル駅ということもあり、乗車口の数も果てしない。

今日乗るのは日本では絶対に実現しえない寝台新幹線。これまで「ユーラシア大陸陸路横断」と銘打っておきながら、下関から釜山までフェリー、仁川から威海までフェリー、そして青島から上海までは沿岸部を南下しただけ…と、「横」断らしいことは全くしていなかったが、今日は違う。沿海部の上海から四川省の省都・成都まで西へ2,000km、本当の意味での「横断」

D976・成都経由宜賓行き

そして発車時刻の20分前に改札が始まる。乗車する列車は成都よりさらに南、四川省南東部にある宜賓(宜宾イービン)行きのD976列車。

この列車は成都まで真っ直ぐ西に向かうルート上にある武漢や重慶を経由せず、何故か北に逸れ西安を経由するため、走行距離は優に2,000kmを越える。日本で言えば札幌から博多までの距離を一本の列車で行くようなもので、やはり大陸のスケールはとてつもない。

乗車列車といざご対面。この列車は中国高速鉄道・CRH1E型電車。16両編成の内、先頭車両と食堂車、そして2両の2等車(座席車両)を除くすべての編成が寝台車になっている、寝台需要に全振りした寝台新幹線と呼ぶにふさわしい列車だ。

早速列車に乗り込む。

こちらが今日の寝台。定員4人のコンパートメントで、中国では「动臥(動臥)」と呼ばれるクラス。一般列車の「軟臥」と同等のクラスになる。

寝台のベッドは大きく、端に荷物を置いて横になってもそこまで窮屈さを感じなかった(筆者の身長は174cm)。かなり居住性が高く、想像以上に快適な旅になりそうだ。

18:44、列車は時刻通り上海虹橋駅を発車。成都東駅に着くのは翌朝9:01なので、14時間半の長旅になる。

発車から10分後、のんびりくつろいでいたら車掌が回って来て、「あなたの席はここじゃないわよ」と翻訳機越しに言われ、正しい座席に誘導された。どうやら部屋横の座席表示の見方を間違っていたらしく、隣の部屋に入ってしまっていた。

上海を出ると列車は北西へ進路を取り、塩城(盐城イェンチョン)、徐州東と停車し、次々と人を乗せていく。22時に徐州東駅へ到着した頃、同室の人が早く寝たそうだったので電気を消し自分も横になった。

最高速度250km/hを出す高速鉄道なので、横になると流石に揺れが気になるところではあったが、日本の新幹線の揺れと大して変わりないのでじきに慣れた。

徐州東駅停車中。上海から西安を経由し、成都までは弧を描くようなルートで結ばれている。

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